しんがり ~山一證券 最後の聖戦~ を観た。
山一証券が巨額の簿外債務を抱えて自主廃業するまでに、なぜ廃業せざるを得なかったかを社内調査した社員達を描いたドラマだ。
このドラマを通じて自分がなぜ退職して今に至ったかを理解できた気がする。
彼らは山一が廃業すると決まっても他の社員のように直ぐには再就職せず社内調査を続け報告書を書き上げ記者会見をした。
資本主義者からいえば会社がなくなるのになぜそんなことをするのだろう。
今更、花替えや飛ばしの全貌を暴いたところで山一が再建できるわけでもない。
給与だっていつストップするか分からない状態だった。
しかし彼らは再就職する社員を横目にやり抜いた。
それは山一証券社員としての誇りだった。
誇りがあるからこそ自社の犯した罪が許せなく調査し全容を明るみにして社員、株主、お客様に全てを知って貰うべきだと考えたのだ。
社員によってケジメをつけた。
昨今会社も個人も責任をとれない時代になっているので是非若い人に観て欲しいドラマだ。
振り返ってみると自分も勤めていた会社が好きだった。
社員である誇りと責任を持っていた。
それをどこかで失くしてしまった。
誇りを失ったことが退職する真因だとこのドラマを観て気がついた。
今日までどこで誇りをなくしたかなんて考えたことは無かった。
ドラマの中で山一証券の元会長がポイント・オブ・ノー・リターンという言葉を使った。
帰還不能点。
ドラマの中では損失隠し(粉飾決算)の悪行に手を染めてもう後戻りできないことをポイント・オブ・ノー・リターンに例え「船乗りの言葉でそこを越えるともはや戻れなくなる場所、という意味だよ」と会長役の岸部一徳が台詞を話した。
そう、どこかに退職を決めたポイントオブノーリターンがあるはずだ。
辞めると決めたのは2016/9/20だ。
このブログを開始した日なので間違いない。
そしてこの時考えていたのは「長くて人生30年、これ以上無駄に働いていて人生に何の意味があるのか」ということだった。
もちろん経済的な余裕がなければどんな理由があっても辞めるのは得策ではなかったがある程度目処が立ったので辞めることを決めた。
ただその奥底にあるのは仕事が詰まらない、そして会社への愛社精神が失せており社員である誇りを失っていたためだった。
もし誇りを失っていなければ間違いなく辞めていない。
どこで誇りを落としてしまったのだろうと考えてみた。
徐々に誇りが削ぎ落された気もする。
敢えて挙げるなら会社が社員を捨てて利益のみを追求する方針へ転換した年だ。
退職した日から遡って5年前の2012年になる。
ここが自分自身が会社を辞めることを回避できなくなったポイント・オブ・ノー・リターンだといえる。
セミリタイヤされた方は自身を振り返った時に自分のポイント・オブ・ノー・リターンがいつで何が原因だったかを考えてみるのもいいかもしれない。
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はじめまして。
これから早期退職(セミリタイア)の人生に足を踏み入れようとしている者です。
今回の「会社への愛社精神が失せ、社員である誇りを失った」お話、
とてもよく分かります。一緒にしてはいけないかもしれないけど、
私もかつては誰よりも愛社精神の強い社員だったと思います。
それがなぜ、定年まで数年を残して会社を辞めようという結論に至ったのか。
いろいろな思いが沸いてきて、複雑な心境ではあります。
でも、今はこれがベストな選択だと確信して、一歩を踏み出すことにします。
また、コメント書きにきます。
コメントありがとうございます。
多かれ少なかれ同じような世代の人は会社が好きで働いていましたね。
それが日本の会社の良さでした。
昔は社畜なんて言葉はありませんでした。。
私の会社は元いた会社から部門ごと何回か売り飛ばされ社名が二転三転しましたので、一社への愛社精神は無かったのですが、製品は世界でシェアNo1でしたのでそういう誇らしさは有りました。
しかしそれがじょじょに守りだけに汲々となり仕事の面白さは消えていきました。
最後は上司と喧嘩ばかりになりそれがポイントオブノーリターンでした。
最後の会社自体はまあまあ良かったのですが
コメントありがとうございます。
確かに自分が育てたとか一緒に育った製品に対する愛情というものもありますね。
これも日本の良さだったと思います。
それがコスパ、コスパというようになりだしておかしくなったような気もします。
コスパは自分もよく使うのですがw