現在のイデオロギーはナショナリズム寄りだ。
しかし子供の頃から20代前半まではリベラル思想だった。
素養というより周りの教育関連が左派で固まっていたので仕方がない。
身の回りに朝日新聞大好き共産主義にシンパシーを持っている左派活動家がいて、担任が当時のあの日教組で、低学年に預けられていた児童クラブの職員も当時の左派党の応援者と三連コンボじゃ洗脳を受けているのと変わらない😨
そんな不自由な思想教育下で生きてきたわけだが50代、60代で今も左に寄っている人々の一部は同じような境遇だったのではないかと思う。
幸い母親が左右関係なく金もまともに稼げない活動家という類いが大嫌いなリアリストに育てられたのでそこまで偏ってはいなかったかも。
だから思考は理念重視でも行動原理は現実主義という矛盾を持ち合わせて育っていた。
それでも美術だったか図工で不沈空母を風刺して教師に絶賛された記憶が今でも残っている。
左派の理念の活用とこの先生にはタカ派の総理を風刺すると点が取れるという現実主義の打算が子供心に働いていた訳ではない…と思う、おそらく。
仕事に没頭してからはイデオロギーなんて一切合切消えてなくなる。
理念だけで生きてる人に仕事ができるわけがないのでリストラされていく。
勤めていた企業は悪い意味でリストラの先駆者だった。
矛盾だらけのハイスピードな社会で揉まれているうち現実主義に磨きがかかる。
理念先行のためか学力高くても成果が上がらずプライドが打ち砕かれて鬱で辞めていく人もいた。
少しでも世間がわかる人はさっさと会社勤めを辞めて公務員試験を受けるとか教員免許を保有してれば教師になっていた。
鳴り物入りで入社した新人にいくら教えても仕事を覚えず言い訳だけは達人クラスで成果もあげられないため会社を転々とし最後は某新聞社に落ち着いたと風の噂を聞いた後輩もいた。
のちに公務員、教師、マスコミは仕事ができない理念バカが行き着く数少ない働き口なので三つの業界が理念優先の左に傾倒するのは仕方ないと高橋洋一氏の仮説を聞いた時は過去の経験を踏まえて腑に落ちた。
あと作家や芸術家も才能さえあれば仕事ができなくても成り立つし日本の政治家も知名度さえあれば成れる。
一般社会ではレアな存在であるのにこれらの職業は左派が主流という不思議が分からなかったが仮説を聞いて納得した。
資本主義社会で成果があげられない人全てが現実より理念を優先するわけではないと思うが一定以上の関連性はありそうだ。
ちなみに身の回りに居たひとも例外に漏れず仕事を転々として行き着いた先は公務員だった。
高橋氏のような頭脳明晰な基準だとこれら資本主義脱落左派は理念バカと一刀両断される。
しかし自分の視点に置き換えれば彼らは頭がいいのに資本主義の下では無能扱いされ職の選択すらできないロマンティストが社会主義や共産主義を持ち上げたいのは何となく理解できる。
承認欲求により人間は必要とされる場所に憧れるのだ。
で、資本主義で稼いで遊んで人生の墓場に足を突っ込み引き抜いて何やかんので気がついたら40歳に近づいた。
仕事嫌いでも順風満帆にやってこれたのは他人が褒めてくれる時に使う「バランスがいい」という評価のおかげ。
自分では何がいいのか?よく分からないし尋ねても何となくみたいな表現でわからない。
たぶん子供の頃に理念と現実の狭間で生きていたので自然と落とし所を見つける能力に長けてしまったのではないだろうかと勝手に分析してる。
あと貧乏だったのもポイントだ。
そして仕事も飽きてきたとリタイヤ資金もそこそこ出来ていたので50歳を前に退職して今に至る。
辞めた直後までイデオロギーのイの字も考えていなかったし考える必要もなかった。
それがこの3年でナショナリズムに変遷していた。
理由のひとつがテレビの情報番組が毎日ニュースの切り取り、印象操作、共産主義への誘導を繰り返すのでここまで酷いのかと心の警告灯が点いてしまった。
米大統領選あたりから全てのSNSがナショナリズムに蓋をしてグローバリズムへ誘導する加速感が危険信号に見えた。
民主主義が侵蝕される危機感で心のバランサーが働いたんだろう。
左から長い中道を経て右へ
イデオロギーなんて亡くなるまで一貫しているべきではないか?という無知と偏見的な思考のせいで自分自身が節操がないやつだと呆れていた。
しかしウィンストン・チャーチルの言葉を知って救われた。
If you are not a liberal at twenty, you have no heart. If you are not a conservative at forty, you have no brain.
直訳すれば、
「あなたが20歳でリベラルでなければ情熱がない、あなたが40歳で保守でなければ脳がない。(頭が悪い)」
という格言だ。
面倒なイデオロギーの書物は好んで読んだことがないので詳しくない。
最初に言ったのがチャーチルなのか、ヴィクトル・ユーゴーなのか、ジョージ・バーナード・ショーなのか、ジョン・アダムスだったのかは分からない。
それでも有名な政治家や作家が唱えているということは間違ったイデオロギーの振れ方ではないらしい。
若い頃には理想で心を育みいい年齢になったら妄想を描かず現実を直視し知性を活かそうと意訳した。
承認欲求に近いかも知れないが自分に都合のいい格言は共感できて心地いいものだ。
断固支持したいw
気になるのは最近の若い人が右に偏りすぎているのではないかと感じる。
ニュースのみでなくネットの書き込みすら日本人なのか五毛なのか最早誰が書いているのか怪しい昨今でリトマス試験紙として感じるのが若い作家の書く小説だ。
テレビ、新聞、ネットと違い小説内の大衆思想までねじ曲げるのは難しい。
例えば退職してから読んでるなろう小説だ。
公平と平等の違いを正しく区別してわかりやすくナショナリズム魂を描いた小説もある。
しかし平和や平等を唱えながら仲間が最優先で仲間や家族や知人がやられるとブチ切れ敵を叩き潰す国に攻め込まれると正義の名の下に相手を滅ぼす、世界を統一して全てを平等をなんて発想はなくて国を興してその中で仲良くと、思想はグローバリズムと見せかけて行動はナショナリズムという不思議なストーリーが目につく。
昔の戦闘ものは一貫していて己を捨てて愛と平和のために戦うという実写や子供漫画しかなかった。
メディアミックスなので小説如きではなく同じ作品の漫画化やアニメ化も進むので子供等への影響は大きい。
前述の格言の通り子供の頃は少し左に偏っているくらいがバランスがいいと思っている。
今やメディアは事実を語らないしSNS上ではグローバリズムに名を借り都合の悪いアカウント削除やツイート削除による統制が始まっており碌でもない社会に向かっている。
さすがにパーラーを締め出したGAFAには驚愕した。
検閲をなくした自由な発言ができるSNSを作ろうと立ち上げたアプリだ。
それを使えないよう潰した。
この所業に目を瞑りアンティファの活動に口を塞いで調査もされない不正選挙に耳を閉じトランプ支持者がオウムの二の舞にならなくてよかったと喜ぶ人たちもいる。
プラットフォームの運営企業による情報統制に諸手を挙げて喜んでいる人もいる。
そんな潮流に逆らって不思議な小説が増えているのかもしれないがマスコミやSNSの左一色状態も危険だがその逆もまた然り。
イデオロギーは他人に迷惑をかけない限り個人の自由だ。
でも世論に多様性がなくなり一辺倒という状態は危ない。
高度成長期然り、世界中でコロナの初動のマスク率然り、鬼滅の刃のブーム然り、日本人は決まった方向めがけて一斉に突っ走りやすい民族だ。
生きている間は言論の自由がある国であってくれればいいが。。