ひがみの七訓
- つらいことが多いのは、感謝を知らないからだ
- 苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ
- 悲しいことが多いのは、自分の事しか考えないからだ
- 怒ることが多いのは、わがままだからだ
- 心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ
- 行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ
- あせることが多いのは、行動目的がないからだ
ネットで見つけて面白い教訓だと感じ取り上げてみた。
作者は不明らしい。
教訓や有名人の名言の類いなんてその場で感心して終わるだけで何の役にも立たず聞くだけ無駄だと考えている。
でもせっかく7つも項目があるので自己確認のチェックリストとして使えないかと評価してみた。
当てはまっているならどうすべきか考えてみるのも何か新しい発見ができるかもしれない。
ひと通りチェックが終わりこの教訓で他の人はどう考えているかググってみるといきなり他人ことを論(あげつら)っている方がいた。
自分を棚に上げて「あの人そっくり」とかいう人々だ。
この七訓で先に他人のことが思い浮かぶのは以前ご紹介した7つの習慣の影響の輪と関心の輪で「関心の輪」に嵌っている可能性があるので注意が必要になる。
著者は影響の輪を大きくしろという教えだが個人的には2つの輪のバランスだと考えている。
(繰り返しになるが7つの習慣のオリジナルの書籍そのものは参考になるが宗教っぽさも感じるし関連ビジネスが鼠講など怪しすぎて頂けないのでスティーブン・R・コヴィー著書のみを読んで参考にする程度以上に関わらない方がいい)
さて一つずつ自己確認しよう。
つらいことが多いのは、感謝を知らないからだ
最近つらいと思ったのは下痢をした時くらいかなw
あー機能性ディスペプシア(旧神経性胃腸炎)の時も辛かった。
五十肩も痛かったし脇腹は今でも痛いし椎間板ヘルニアも落ち着いているがいつ爆発するか。
健康には感謝しているがまだ足りないかな?
冗談はさておき、
ふつうのひとが自殺を考えるほどつらいのはやっぱり人間関係なんだろう。
コミュニケーションが少ない生活なので人間関係でのつらさがない。
この教訓も人間関係のつらさが多いのは相手に感謝をしていないからだと言いたいはず。
でも現役時代でも辛かったのは低血圧で通勤が早い時くらい。
社内で誰も彼もサジを投げたモンスタークレーマーと呼ばれる人と10年近く仕事をし会社の被害を最小限で抑えたのも成果のひとつに数えられるが相手が人間でなく仕事だと割り切れば精神を乱されることもなかった。
悲しみの感情が人より少し足りないと感じているので感覚も鈍いのかも。
感謝の気持ちは若い頃より増えているが基本は何も変わらず自己中心なのが案外いいのだろう。
苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ
辛いと苦しいに違いがあるのかよくわからないが、とにかく下痢が嫌だ。
あれは苦しい。
あの苦しさも甘えか?
なんか下痢の話にばかりになってきたw
それ以外は思いつかない。
他人がどう思っているかは知らないが自分自身には甘いと考えている。
甘いと客観視しているうちは平均的じゃないかと安心している。
悲しいことが多いのは、自分の事しか考えないからだ
これは少し怪しい文章だ。
他人の事を考えれば考えるほど悲しみは増大するんじゃないの?
この考えは浅はかなのか?
あと悲しさは社会的な立ち位置も影響する。
他人との対比だ。
なんでも世の中上を見たらキリがない。
そこはさっさと見切りをつけている。
だからひがみの七訓か。
でもひがみ根性が強い人ほど上昇志向が強いとポジティブにも取れる。
ひがみを卑下することもない。
怒ることが多いのは、わがままだからだ
おっしゃる通り!
平均的な人より怒りっぽい。
相手もいないので今は怒らなくなったが若い頃は物事が自分の思うように回らずキレていた。
あれは自分のわがまま。
感情を制御できるようになってキレることも無くなったがわがままな性格は何も変わらず外に向くか内に抑え込めるかで相手の見方が変わるだけ。
性格を理解して人と距離を置いている。
だから上っ面の付き合いしかしない。
今思えば若い頃はそこそこ情熱的で感情的でぶつかることも多かったけど仕事で必要なわがままの抑え込みをしたあたりから徐々にこうなっていった。
どちらがいいかという判断は難しい。
ひとりで生きていればありのまま過ごせるので問題とは感じておらず直す気もないし無理だ。
大阪の雑居ビルの狂った放火犯じゃないけれど他人様に迷惑をかけないことを大前提に生きていれば人の道から大きく踏み外すこともないはず。
ただ老人ホームなどのコミュニティに入った時にボケていて上っ面対応ができるか怪しいので今後も人付き合いは無くさないようにしよう。
ボケて温厚な人柄が豹変したとよく聞くが実はその理性が飛んだ後が本来の人格でそれを隠し続けて生きてきたのかもね。
自分もかなり面倒な性格だと思うのでボケて本性が出て老人ホームでキレやすい男性の介護士にでも当たるとボコボコに殴られてそれが漏れてニュースにでもなりそう…
心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ
これもわかる。
ただ懸命に生きるだけでは心配事自体は何も解決せず存在している。
「心配を感じる余裕がなくなるだけ」で実際はそのままだ。
一生懸命に生きてリスクマネージも抜かりなく行うのが本来の心配事を無くす正解だ。
例えばリタイア組のリスクマネージとかは生命保険、自動車保険、医療保険など保険に何かあった時の互助できる知人とか、自宅の防犯、資金を貸金庫にとか体がヨボヨボになった場合の環境確保とか老後の貯蓄などだ。
あと上記のボケて介護士にボコボコにされない工夫を考えるのもそう。
ちょこちょこ心配事を思いつくたびどのようにそれを防止しようと考えることは楽しい。
もちろん岸田内閣が碌でもない社会主義へ向かっていそうなのはTwitterでは声を上げるけど心配しようがどうしようもない「関心の輪」なので現政権の寿命や経済を予測してリスク管理は心がけるが気にしていない。
行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ
うーん、何言ってるんだか理解できんw
行き詰まったら要因を分析して別の対策を立てリトライするか、その行き詰まった事象をなんとか回避するしかない。
立ち向かうか逃げるかのいずれかの選択しかない。
根っからのリアリストは問題ないがロマンティストが自分の思った通りに仕事を進めようとするとこじれるぞ。
物事は理論通りや思い通りには高確率で前に進まない。
それが理解できず消えていった人々に遭遇しているのでよくわかる。
もしくは
裸=素直
と考えたらこれも人間関係のことかな?
であれば素直なのも良し悪しで気持ちをそのままぶつけてうまくいく場合とそうで無い場合はケースバイケースだ。
例えば相手を真に思い遣って心を鬼にして怒るとか方が後々になって自分のことを考えてくれたんだと感動する。
もしありのまま生きているというなら今がその状態なので行き詰まりは無いってことでいいのかな?
あせることが多いのは、行動目的がないからだ
これは意見が異なり焦るのは結果を予測できないだ。
行動目的 ≠ 結果予測
だと思う。
それは能動的だろうが受動的だろうが関係ない。
予測できないのはその懸念に対する知識が不足して自己判断ができない場合だ。
知らないことは焦りや恐怖やその先の怒りにつながる。
前述のモンスタークレーマーが正にそうだった。
だから相手のプライドを傷つけないようあたかも知っていると思っている体でバカでもわかるよう噛み砕いて説明して理解させればヘソを曲げることも少なかった。
近年素晴らしいのは特殊な情報でもない限りググればたいていのことは付け焼き刃でも知識として取り込める。
だから社会全体で焦りが減っていると考えている。
ネットやスマホがない頃の人は全て自分の知識だけで勝負しなければいけなかった。
逆に知識の無い場合の対処能力低下が今後の社会に何か影響を与えないかは気になるところだ。
なんだか途中から七訓を批評するような内容になってしまった…
肯定できる内容とできない内容があったので仕方がない。
そして自分は想像していたより「ひがみ」は無さそうだ。
あくまで自己評価なので他人から見たらひがみ根性の塊なのかもしれないとも考えてバランスは取っておく。
あと教訓のいくつかは原因と結果が結びついていないように感じたのは当てはまっていないのか、はたまた気がついていないのかわからない。
リアリストではなくロマンティストが考えた七訓だったのかもしれない。
名言を感心して終わるだけでは何も得るところはないのでその名言を読んで自分がどのように考えているかを文章にしたためてみると何か気づきが見つかるかも。