実はテーマだけ考えて書き始めは何も考えていない。
どんな結論になるかわからないが今の日本人が貧乏になっていった理由について考えてみた。
気がつけばダラダラと長文になったので暇なときにでも読んでいただきたい。
まず消費税増税、現政権の金融引き締めへの転換、ガソリン価格上昇、円安、海外の物価高だとかが最近メディア上で踊っているがそれはあくまで直近のネタであり長期的な経済低迷の理由ではない。
左エコノミスト達は安倍さんが大嫌いなので(笑)挙って3本の矢のうちアベノミクスの2本目以降の矢が刺さらなかったのを理由にしたいようだ。
しかし元は日本が自力で浮上でき無くなっているところをマクロ経済でドーピングを試みただけで基盤がまともな経済なら第一の矢をきっかけに充分盛り返せた。
実際に成長している国はそんなドーピングすらしていないし、もし第一の矢すら使わない政権が続いていたら日本はどうなっていたやら。
左ストは相変わらずミスリードで矛先をおかしなところに向けたがるので要注意だ。
それよりもっと根深い構造的な問題があったはず。
ググってもネット上でしっくりくる理由は見当たらない。
バブル弾けて失われた30年だのと言われた当初はインフレがやばいと金利調整の失策だがそれ以降日本が浮上できなかった理由がわからない。
はっきりしないので何をやっても浮上しないのだろう。
もしかすると何冊も発行されている似たようなタイトルの誰かの書籍に正解があるのかも知れないが全てを読むわけにもいかない。
最もらしいのは、
「日本は貧しくなっている。」
「それは政治が明るいビジョンを示せないから。」
と考えているひとが国民の中にも多く
だから
「みんな稼いだお金を貯蓄に回して例えばアメリカに比べて投資が不足して経済がよくならない。」
と。
自分自身がこの思考だった。
しかし考えてみれば高度経済成長期やバブル期にみんな政治家のビジョンなんて追いかけて身を粉にして働いていたのだろうか?
確かに一部の政治家の池田勇人や田中角栄などには明確なビジョンがあった。
しかし高度成長期もバブル期も自民党は間違ったビジョンの政治家や残念なトップを輩出してきた。
いや55年体制以降派閥の力学で決まっており能力なんて二の次で政局に強いだけのトップばかりだ。
そもそも安倍政権登場までマクロ経済を理解しているトップがいたかすら怪しい。
ミクロで経済対策を打ったところで大した効果もないというのは経済学の研究でなくても最近の国民も理解していることだ。
だから政府主導というより当時の勢いは先進国に追いつけ追い越せで国民が国を引っ張って運よく上手く転がっていただけのように感じる。
上り調子な時期に将来への不安など感じる人などまずいない。
それに元々は多様性など薄く一度決めたら一気呵成の国民性だ。
高度成長期は宗教でもなく他国への憎しみを植え付ける洗脳教育をしたわけでもない何でまとまっているか諸外国には分析不可な団結力による日本の突破力だった。
他国はマジで脅威に感じていたはず。
アメリカなどはスーパー301条なんて後出しジャンケンで当時の日本の勢いを食い止めようとしたくらいだ。
バブル期終了以降に働いていた実体験を元にしており高度成長期の働き方のエビデンスを集めるなら80歳以上の人々にでもアンケートを取らないとわからない。
言えるのは高度成長期もバブル期終了期でも今に比べればみんな過酷な職場環境で働いていた。
自分自身が1996、7年頃までは毎日22-23時が実質の定時でそこから今ある仕事を納期で終えるために何時間残業するかが勝負という日々だった。
大抵は御前様の帰途でそこから上司や同僚とアルコール補充に出かけていた。
土日出勤も多く振替休日も取れず年次休暇の買い取り制度もない企業だったのでどんどん消えていった。
残業時間は36協定があるのでタイムカードで申請するのは月最大40時間以下に抑えて100時間以上がサービス残業となって消えていた。
しかし毎月40時間固定だと労基が実はもっとやっているんじゃないか?と怪しむとかで更に申請時間を絞っていた。
企業が労働基準法や36協定を逆手にとって有償残業を制限していたわけだ。
90年代は大手企業の社員とプロジェクトの仕事の徹夜明けで敷地内を歩きながら筍のように増えていく立派なビルに朝方まで煌々と灯りがついているのを見ながら「あのビルは全て我々のサービス残業で建てたんだ」と話してくれたものだ。
これは何社でも経験した。
90年代から2000年代前半までは似たような職場ばかりだったのではなかったか?
後述でエビデンスを示すが日本人の労働時間そのものがずっと減り続けている。
それも大幅にだ。
何を言いたいかというと日本人の働き方そのものが欧米と根本的に異なっていたのではないだろうか?
筆者がリタイアするまで効率房になっていたのは勤めていた企業の影響で成果第一主義による効率化と下層への権限と責任の移譲を推進していた。
海外企業では当たり前田のクラッカーだが日本では珍しい。
一方で仕事で付き合いのあった一部上場の日本最大企業でも非常に無駄が多い仕事ぶりだと感じていた。
メールや電話ひとつで判断が終わりそうなのをわざわざ大量に人を集めての会議や会社特有のお作法やプロセスも多く、それが済まないと先に進まないとか日本特有の何かあった時の責任の分散消滅のためか承認や同意などのコンセンサスを得るのに疲れ果てる。
例えばこちらがひとりで参加している会議でも同業他社は4-6人でやってくる。
権限が細分化されてしまいそれだけ担当者がいないと物事が決まらない。
そしてようやく本題に入ったと思ったらちゃぶ台返しの嵐で一歩進んで二歩下がるという仕事ぶり。
コンプライアンスなんて言葉が日本に輸入された頃には一層効率が落ちた。
業績を停滞させるような仕事で給与を受け取っている社員も増殖していった。
結局のところ非効率で納得いくまで残業時間でカバーしてようやく先進国並みのパフォーマンス(生産力)だったと考えてみた。
国民の生産力を計る数字といえば一人当たりGDPだ。
出典 MONOist
出典の著者は日本が元々は優秀だったのが凡庸な先進国に落ちぶれたと言いたいがためのデータとして提示している。
しかし実は元から我が国では作業効率は凡庸で有償残業やサービス残業を重ねて重ねて納得して素晴らしい製品を作り先進国に追いついたのではなかろうか?
最期はやらせなどがあり終了したNHKのプロジェクトXだが当時の日本人は家庭を顧みない膨大な残業の上に成り立っていた成功例だとわかるドキュメンタリー映像なので一度観ていただくといい。
このグラフを見て驚くべきはオイルショックやらリーマンショックやら何とかショックが色々あったはずだが赤線のアメリカの一人当たりGDPの伸びがほぼ一定の綺麗な右肩上がりであることだ。
これが意図されて成り立っているのかたまたまなのかは今回の議論から省き基準として使いたい。
それに対して青線の日本は高度成長期でなんとかアメリカに追いつけ追い越せというGDPを示してバブル期で追い抜きそこから転落してどんどん差をつけられている。
高度成長期もプロジェクトXやら当時の映画や社会派小説などからサービス残業が酷くその後のバブル期も過労死が大量に出ていたはずで当時は労災をほぼ認めなかった。
高度成長期よりバブル期の方がアメリカの上を行ったのは一時的な物価上昇に加え更に残業時間が増えているのと働く環境が欧米並みに整ったのだと考えられる。
具体的には交通機関や通信やパソコンやコピー機など事務用品などの進歩でそれを日本製品がリードした。
もちろんGDPは為替や通貨量なども影響するが日本の場合はあれだけの国債を抱えるほど量的金融緩和をして今の状態なので当時より残業が大幅に減ってしまい一人当たりGDPが伸びなくなったと考えるのが妥当だ。
ルクセンブルクやスイスあたりは税金が半端なくて物価も一様に高く特殊なので比較するのには難しい。
残業が多い企業をブラックだとオールドメディアが叩き始めたのが記憶によると1990年代中盤からでそこから少しずつ残業が減っていった。
自身の経験でも企業が36協定を盾にサービス残業を増やしてやろうからサービス残業を減らそう、残業を減らそうという雰囲気に風向きが変わり出したのが世紀末からミレニアムあたりだ。
とても誇れることではないがブラック企業のリーディングカンパニーのような会社に勤めていたので間違いない。
何せ某オールドメディアのグループ会社に目の敵にされ社会的にブラックだと叩かれ続けて新入社員もままならなくなり仕方なく系列テレビの方でいくつかの番組でスポンサーになって黙らせた経緯もある。
スポンサーになると企業叩きは笑えるほどピタリと止んだ。
どっちもどっちでひどい話だがオールドメディアはこれに味をしめてブラック叩きを商売にしていた節がある。
この頃からだ。
商品やサービスをアピールするのではなく社名だけを出したり本業とあまり関係なさそうなイメージアップの映像が流れて結局あれは何のCM?が量産された。
テレビを何十年も観ていた人なら覚えているだろう。
ミレニアムあたりまでは自身も周囲の他業種もそれなりに昇給があった。
どれもこれも労働時間が減り続けたのが原因ではないかと考えている。
厚労省より抜粋
そして2016年には日本人の労働時間はここまで下がってしまった。
出典 働き方改革ラボ
昔は日本も平均労働時間が年間2000時間を軽く超えて日本と韓国とメキシコあたりでトップの座を争っていた。
サービス残業は厚労省や労働基準監督署には把握出来ない不可視な数字なので現実にはもっと働いていた。
自身の経験ではピークでサービス残業が月100時間アップとして+1200時間はあったので労働時間は3000時間オーバーだった。
そこまでひどく無いとしても月80時間残業して30時間が有償残業で残り50時間をサービス残業にしていれば600時間は上乗せされていた計算になる。
普通の日本人労働者ならこの程度は余裕で超過していたろう。
1990年台で平均労働時間1900時間にサービス残業600時間を加えて2500時間が実際の平均的な労働時間とみなせる。
逆に少なすぎると言われるかも知れないがお役所の公務員などあまり残業をしない職業もあったので混ぜて平均すればいい線だ。
労働時間は高度成長期から2000年頃まで事実上は変わっていない。
そして時代から取り残されてサービス残業を課し続けている企業も若干はあるだろうが2000年以降事実上激減しているとデータから読み取れる。
それに現実でも夕方に電車に乗るとわかるが帰宅時間がみんな早くなった。
最近韓国が一人当たりGDPで日本を追い抜いたと喜んでいるが単に労働時間で生産力を上積みしているだけだと認識した方がいい。
気がつけば日本は追いかけるアメリカよりも労働時間が低く働かないイメージが強いイタリア人(笑)よりも下になっていた。
このランキングだと24位なので案外上位に見えるがOECD加盟の38カ国なので下から数えた方が早い。
いつのまにか働かない国になっていた。
これではいくらなんでもゆとりが過ぎる(笑
「ハタラカズビンボウニナッタッテモシカシテニホンジンハバカデスカ?」
って海外の声が聞こえてきそう。
そしてここがポイントで当時は国民の大半が残業代ありきで現在の水準以上の生活をしていた。
家のローンを組むのもクルマを買うのも贅沢品を買うのも全て残業代を充てにしていた。
クルマの国内販売台数の推移でもググって見れば一目瞭然だ。
まさに日本の景気をそのまま示してきた。
よく最近の若い人はクルマを欲しがらなくなったとかいうが現実は今の給与だけではローンをすれば破綻するためクルマが無くてもいい生活様式に変化させていっただけ。
当時の若者もそれ程給与がいいわけではなかったが残業代という給与以外に余計に貰っているお金ならクルマに注ぎ込んでいいという意識もあってバンバン売れていたのだろう。
日本人て昔からお菓子にオマケつきが好きな文化だったし残業代に対してもそんなオマケ意識やいっぱい働いた自分へのご褒美で贅沢品を消費できたのだと思う。
労働時間が減り残業代が無くなれば消費が落ち込むのは当たり前だ。
今も昔も日本人は全般的にケチな気質で経営者はもっとケチで企業も給与を雇用者に出来るだけ与えたくないという考えが蔓延しており給与はあまり上げたくないが残業するなら支払うのは矢も負えないという意識だ。
なんとなく100時間残業したら半分は残業代を支払って、あと半分は会社の利益という概念が渦巻いていた。
その昔は青天井で残業代を支払っていた会社も多かったようだが時代と共に減っていく。
ただ経営者の肩を持つわけではないが当時は残業代が欲しくて夜遅くまで働いているふりをして何も成果を残していない奴らも多かったので会社への成果として半分くらい支払って納得していたきらいがある。
そりゃあ世の中の全てがプロジェクトXの主人公ではなくセコイ奴らはいつの時代にも数多くいる。
残業が雇用者と被雇用者のギャップをうまく埋めていたわけだ。
その残業代をベースに経済が成り立っていたのが無くなってしまえば衰退するに決まっている。
労働時間が減り残業代が減ったから生活が苦しいので基本給を上げて!と言ったって経営者は「へ、なぜ?」になる。
「経営者はもっとケチ」の理由は江戸時代から続く日本の商業の在り方を変革できなかったようだ。
商家の主人と丁稚の関係でうちで働かせてやっているをいつまでも引きずっていた気がする。
このあたり退職されたお父さん、お母さんや、お爺さん、お婆さんに聞いてみればまさにその通り!と答えるのではないだろうか。
国民の収入面だけではなくひとり当たり労働力(生産力)も表で25%、実質30%以上減少すれば貧乏になって当然だろう。
出生率の低下とか国民データは複利で社会に影響を与えていくので怖い。
だが韓国は依然として日本の1980年代の労働時間をあいも変わらず続けている。
彼の国も日本の高度成長を羨んで日本を参考しつつ反日感情と共に成長したので似たような働き方構造になっているはず。
なのになぜここまで労働時間に差が生じたのか?
考えられるのはオールドメディアの無知なる扇動の有無だろう。
前述の通り日本はオールドメディアがブラック企業を叩けばスポンサーになってくれ金が儲かるというマッチポップのような恐喝ビジネスを営んでいた。
それが全てではないだろうが残業は悪だ残業は悪だとオールドメディアと裏では共産党や左派のマイノリティな団体などが無駄な共感を得るために叩き続けてきた。
企業側もブラックのレッテルなんて貼られるとブランドイメージが傷つき氷河期は別にして優秀な新入社員の確保がしにくくなるのでホワイト企業のイメージ作りのために勤務時間を徐々に減らしていった。
ある程度調整するならいいが気がついたら下回っていた。
韓国は企業ベッタリで煽るマスコミが居なかった。
そんなところ。
一昔前にゆとりが大切、ゆとりが必要と騒いだのもオールドメディアだ。
多様性だの格差社会だなんだと国民を分断させ、団結して欧米に経済で立ち向かっていたのを邪魔をしたのもオールドメディア。
最近ではコロナ禍で視聴率を稼ぐためだけにコロナニュースばかりを報じてコロナ脳を生み出し経済を停滞させたりSDGsというおかしな外来種を持ち込んだのも奴ら。
日本にとって碌なことをしない。
これらオールドメディアの自己都合のお陰で豊かな暮らしはお金よりも気楽に生きることだケセラセラという風潮が広がってしまい日本人一人当たりの労働時間が下がっていった。
当初はみんな給与もそこそこ足りていたのでキツイ残業より余暇が増えた方がいいと国民もメディアのブラック叩きに賛同をした。
そして働き方改革やワーキングシェアにつながって競争から仕事をみんなで分け合おうよ(準社会主義)なんてへんな考えに至ったのではないだろうか?
ワークシェアで仕事を国民みんなで平均化するのは一見よさそうだが中産階級がどんどん減少し高級家電や贅沢品などの消費も減っていく。
企業は高級品から得られる高収益で新しいものを開発する費用の捻出もしにくくなる。
こういう話をしていると必ず出てくる「非正規雇用ガー」だがあれは小泉純一郎政権時代に竹中平蔵のアイデアに官僚が乗っかり大企業に入れ知恵をして広がってしまったと考えているが実際の経緯はよくわからない。
小泉氏は郵政民営化一本で経済に全く興味はなかった変人だし。
その非正規が増えている間の一人当たりGDPを見ても不思議と急激に伸びている。
円高を差し引いても不思議と頑張っているのには個人的にも解せない。
震災発生と民主政権さえ発足しなければ非正規が増えようが食い下がってアメリカの後を追いかけていたのかも知れない。
なお非正規の割合のピークは令和元年にあるので小泉政権発足からそのあたりまで個々の格差が広がっていた可能性はあるがあくまで平均化したマクロ視点のみなので詳細はわからない。
最期は民主政権が円高と社会主義的な競争しない社会作りでトドメを刺してくれた。
もうこうなると金利を0より下げられず量的金融緩和でデフレを引き止める延命措置しか残っていなかった。
ビジネスができない人々の集団であるオールドメディアが日本人の勤労文化を理解せず強引に欧米の労働時間に近づけようとしたブラック叩き、残業叩きが結局のところ日本人が貧乏になったトリガーだと認識できる。
もちろんあの頃の労働時間を減らすのは人らしく生きるために悪いことではないし自分自身もケセラケラと生きていたかったが現実的に考えて資源の乏しい日本でそんな社会はあり得ない。
その欧米視点の労働時間では日本は先進諸国に太刀打ちできる生産性が出せないし労働時間が減れば貧乏になっていく事も推測できたがそれは伏せてきた。
某元官房参与あたりならバカなオールドメディアがそんな事が推測できるわけがないだろうとピシャリというはずだが国民を扇動した言動には責任を持って欲しい。
効率的に仕事をするのが苦手なのは別に頭の良し悪しの差ではなく前述の責任を取れない国民性や段取りの多さや達成への執念でその根源となる成果への褒賞など報われ度合いや逆に成果が低い場合のペナルティの低さも関係している。
このあたりも江戸時代の職人や農業や武士などから脈々と続いてきた日本の働き方の文化だろう。
武士なんて責任を取る=腹切りだから。
あくまで仮説ではあるが日本の高度成長は良く言えば職人気質の妥協しない国民性とそのために不足する時間を大残業社会で支えてきた。
働き方は変えずオールドメディアの扇動の下で労働時間だけを短縮したのでこうなった。
おそらく過去の青天井な残業で本人と会社へ折半して払うような働き方に戻せば日本は再浮上する。
しかしぬるま湯に浸かった国民が過去の残業大国に立ち戻ることもできない。
何かを得るためには何かを捨てるしか無い。
捨てたのが高度成長から続いた国民皆中流層で得たのが中途半端なゆとりだ。
今後労働力の効率化を図るため欧米の成果主義をそのまま取り込んでも上手くはいかないだろう。
例えば経営者を外国人にすると一時的には業績が上がるが一定のコストカットが終わったら業績も下降する。
日産などを見ていればわかる。
日本社会にはどうも馴染まない。
だから例えば日本人は自己承認欲求がやたら強いのを利用して仕事の成果を社内SNSで発表する。
社員から「いいね」をいっぱい貰えてそれを集めると昇給、昇進するとか、そのための自助努力は残業代はつかないけれどボランティアで好きにすればいいとか日本独自の新しい仕組み作りが必要だ。
自分には理解し難いがいいねのためには努力を惜しまない国民だ。
ただ企業の働き方そのものを政府がどうこう指図できる話でもない。
労働時間1900時間目標は当時の中曽根内閣時代に打ち出したものだがそこまでの社会や企業の風潮はオールドメディアが生み出してきた。
彼らにも日本への功罪の両方があるので寄生虫と言い切るのはかわいそう。
だからせめて「日本をこんなにしてしまいごめんなさい」と素直に謝って、責任を一部の政治家や国民になすりつけるのではなく日本人の特異性を踏まえて日本人がどのように生産性を上げていくべきかを考えて新しい道を模索するきっかけを作るべきだ。
バブルをソフトランディングできなかった金融政策の失敗、バブル弾け10年でゼロ金利政策に突入させてしまった失策、これから再びという時に天災が起きたり、民主政権を生んでしまったことや政治家が規制緩和に手をつけなかったなど色々絡みあって現在がある。
しかし今の日本になった最大の理由は労働時間の低下によるものではないだろうか?
いつも他者に責任を押しつけるだけの存在なのでオールドメディアにも反省して欲しいとの願いを込めてこのような結論になった。
責任回避意識の強い日本人で構成される日本のマスコミらしいと言えばそれまでだ。