長文につき注意
子供の頃は発達障害だった。
ここ数年でそう気がついた。
当時も確か発達障害という言葉はあった気がするが詳しく認知されていなかった。
発達障害はASD、ADHD、LDの3種類に分類されているがこの境界も曖昧な部分があり混じり合った性格として現れる人もいる。
自身がそうだと気がついた理由は衝動性、多動性、注意欠如というADHDに顕著な性格が子供の頃に見られたからだ。
低学年まで連絡帳や通知表では落ち着きがないと全ての保育士や担任教師に書かれていた。
おまけに感想文で感想ではなくあらすじ書いて誤魔化していたので軽いASDもあったのではないかと推察する。
物語の主人公の気持ちになって代弁する事ができなかったのでみんなうまいこと感想文を書くものだと感心していた記憶がある。
ASDは言葉や言葉以外の方法、例えば、表情、視線、身振りなどから相手の考えていることを読み取ったり自分の考えを伝えたりすることが不得手である、特定のことに強い興味や関心を持っていたり、こだわり行動があるといったことによって特徴付けられる。
LDは読む、書く、計算する、推論するなどの特定の分野に苦手さを示す学習障害だ。
発達障害の存在を知ったのは僅か十年前で当時の部下のお子さんが発達障害で悩んでおり仕事上の相談を受けていたことから。
自身が会社を辞め子供の面倒をみて安定な職の奥様に収入を任す方向で決意しかけていたが有能な社員だったので子供の面倒を可能な限り見られるように休暇の取りやすい職場環境へ異動させ周りへも配慮させた。
会社として優秀な人材の流失は単なる損失でしかない。
もし友人だったら違うアドバイスをしていたかもしれないが立場で見解が変わるのは仕方がない。
彼の希望的観測もあったのだろうか発達障害は子供の頃に落ち着いて消えるという知識が知らず知らずに植え付けられていた。
だから当時は発達障害は発達時に於ける一定数がかかる子供の三日はしかのようなもと考えていた。
しかし最近ネットで大人になってもその子供の頃の発達障害の性格が色濃く残ってしまう人が多いと知る。
振り返ってみれば現在の自身にも傾向がある。
興味のある話には食いつくがそうでない話には適当に愛想笑いして相槌を打って別のことを考えていた。
この性格だと派閥忖度やら人間関係が拗れた普通の日本企業では軋轢を生む。
しかし働いていた会社が当時では我が国ではレアな成果第一主義だったので成果さえ残せばプロセスなど二の次でうまく生き残れた。
成果が出せなきゃ何度かチャンスはくれるが最後はガンガンとリストラをする企業だった。
会社にとって存在価値がなければ辞めたほうがお互いのためだと考えていたので当然だと考えていた。
勤めていた企業の残業やリストラをブラックだと紙面や関連雑誌で叩き続けていたあの新聞社の部数が減り続け全く同じ手法で更に強烈に大量リストラをしているのは感慨深い。
逆に勤めていたところはホワイト企業ランキングに名を連ねる。
いやぁ時代は変わるものだと笑える。
衝動性も決断という形でうまく働いた。
多動性も目的とは違う事を数多く考慮でき先回りでリスクマネージに活かせたのでデメリットよりメリットが大きかった。
毎日が日曜日なのにマンネリ度を感じないのも多動性のおかげだろう。
海外旅行ですら数日前に突然決めて出かけることもあるのでこれも衝動性だ。
検討ばかりしているような記事が多いので慎重で思慮深いと勘違いされるかもしれないが実際には記事を書いている間しかその事について考えない。
この文章も今まさに考えながら書いているため現時点ではどんな着地をするかすら分からない。
普段の生活でも旅行以外のスケジュールは常に白紙でも毎日その場で何か見つけて遊んだり学習していて飽きない。
リタイア中のスケジュールなんてほぼ白紙がふつうだと思っていたがリア充なリタイア組はスケジュールの多くを埋めており自分が特殊だと分かった。
ツレと旅行でスケジュールを合わせようとすると常に1ヶ月以上先の計画になるのでみんな暇なはずなのになぜだろう?と飲み会で聞いたら埋まっているのが当たり前のようだ。
自身のリタイア生活を表す時に利用させていただく天命追求型というのも根幹にこの多動性があるのだろう。
最近ネットにいくつものASDやADHDの自己診断テストのようなものが出回っており試しにいくつもやってみた。
そのうち有名な心の理論課題を二つ取り上げてみよう。
事前情報がないまま素直にゆっくり読んで答えてみるといい。
チーズケーキ課題
恵さんの家におじさんが遊びに来ました。
恵さんはお母さんに手伝ってもらってチーズケーキを作りました。
恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。
「おじさんのためにケーキを作っているの」
おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが 入っているのはダメだけどね」と言いました。
気まずいことを言ったのは誰ですか?
なぜ気まずいのでしょうか?
アイスクリーム課題
子供であるジョンとメアリーが公園で一緒に遊んでいます。
その公園にはアイスクリーム屋さんもいました。
メアリーはアイスクリームを買いたかったのですがお金を持っていませんでした。
アイスクリーム屋さんは午後も同じ公園にいると言っていたのでメアリーはお金を取りに家に戻りました。
しばらくしてアイスクリーム屋さんは公園で遊んでいたジョンに教会に行くと伝えて去って行きました。
その途中にメアリーの家の前を通ったアイスクリーム屋さんはメアリーの家の前で2階から顔を出したメアリーに教会に売りに行く事を伝えました。
その後しばらくして自宅に戻ったジョンは宿題で聞きたい事がありメアリーの家に行きました。
しかしメアリーは既にアイスクリームを買いに出かけていると聞きました。
ジョンはメアリーがどこに行ったと思っていますか?
いかがだっただろう?
自分の場合はADHDの疑いでASDはほぼ克服している。
従ってこの課題は簡単だった。
チーズケーキ課題の気まずい事を言ったのは「おじさん」になる。
恵ちゃんがチーズケーキを作っているのにチーズを使ったケーキが嫌いと恵ちゃんに面等向かって言ってしまい場を凍り付かせた。
ケーキの種類にチーズケーキがあると想像するのが苦手な方も一部にいるので不可抗力なケースもあるがそれでも気まずくしたのは母親でも恵ちゃんでもなくおじさんと考えるのが一般多数の心理だ。
ふたつ目のアイスクリーム課題の答えは「公園」だ。
ジョンはアイスクリーム屋さんが教会に行くことは直接聞いているので知っている。
メアリーもアイスクリーム屋さんから教会に行くと家の前で聞いたので知っている。
しかしジョンはメアリーがアイスクリーム屋さんに自宅前で教会に行くと言われた事を一緒に聞いていなかったので知らない。
ジョンの中では一緒に公園にいた時間からメアリーの中のアイスクリーム屋さんの位置情報は更新されずメアリーはアイスクリーム屋さんが公園にいると思っていると考えている。
回答が出てこなかった方や反射的に回答できなかった方や難解だと感じた方は素直にASDを少し疑った方がいい。
9割以上はパッと答えられるわけだから文章がそれほど分かりにくいわけではない。
普通に察せる人は多少の説明不足でも行間まで読んで答えられる。
もちろんこの2問だけで発達障害を肯定も否定もできるわけでもない。
可能性が気になる方はASDやADHDの専門外来にいこう。
色々テストをやってみると自身はグレーゾーンに届かないが軽度にADHDの発達障害が残っているとわかった。
元々優秀な人材を見つけてモノマネで生き残ってきたタイプなのでそれなりの努力をしていたし特異な企業だったので発達障害の度合いが勤めていた職場にはマッチしてうまいこと乗り切れた。
そのテストを何種類かやってふと気がついたのは発達障害だったと推測される方が周りに多くいたことだ。
当てはまると思われる会社の先輩、同僚、部下が多い。
発達障害は自分のような軽度も含めると世の中に10%以上は存在するといわれている。
著名人にも多い。
アップルのスティーブンジョブズ、テスラのイーロンマスク、ハリウッド俳優のトムクルーズ、日本の大女優の黒柳徹子、天才アーティスト米津玄師、節約の第一人者の勝間和代などが公表している。
徹子の部屋で芸人にグサグサ突いてくるため畏れられている部分がまさにそうだろう。
ジョブズやイーロンマスクの性格は分からないが映画ドントルックアップの実業家のモデルになっているのがあの2人を揶揄していると思われるので胸糞が悪くなる演出だが観るとある程度理解できるかも知れない。
偉人だと坂本龍馬、織田信長、アインシュタイン、エジソン、レオナルドダヴィンチ、モーツアルトあたりもそうだったと考えられている。
もちろん著名人でも伏せて活動したり自分のように晩年まで気が付かず過ごしてきた人もいるだろう。
働いていた頃は400人以上のステークホルダーが居たので1割存在するとすれば30-40人居てもおかしくない計算になる。
そりゃあまあパッと思いつく人が出てくるわけだ。
まず頭に浮かんだのがとにかく頭はいいが仕事ができず早期退職を余儀なくされた会社の先輩だ。
非常に幅広い知識と見識を持ち判断力も高い。
立派な訓も垂れる人格者だった。(←ここが伏線)
しかし彼の上司は彼が次から次へと生み出す顧客からのクレーム対応にうんざりして自分を後任に充てることになる。
申し訳ないのだが彼のお陰で大した事をやってもいないのに上司がクレーム対応から解放された功績がきっかけで後半はかなり楽をさせてもらった。
その後先輩は社内の職場を転々とさせられて行き先が無くなり早期退職で辞めた。
仕事ができなくても窓際には置かず何とか活用し続けようとする企業だったので言うほどブラックでは無いし最近大量リストラをしている前述の新聞社の方が人間の尊厳をズタボロにして辞めさせるとひどい扱いをしているという噂を聞いている。
今でもその先輩とは付き合いがある。
収入源は知らないが自分よりよっぽどいい暮らしをしているので投資なり親の財産とかで余裕なのだろう。
頭もキレるし話題も豊富で普段話をしている限りそんな兆候はない。
しかし仕事を引き継ぐ際に分かったが実務になるとからっきしダメで相手の指示した事と違う方向で進めていたり会議中など聞いているのか寝ているのかわからないことが多い。
興味のない課題やテーマは自分の担当外とでも思っているようだった。
相手からクレームを言われているのに興味がなさそうに寝たような状態になる。
あり得ん💢
当初は上司が嘘をついているのではないかと考えていたが実態を見て愕然とした。
あの頃は発達障害の存在を知らなかったのでその無残さとは結びつかなかった。
あまりにひどいので何度か指摘するとこれまた興味が無さそうに「はいはい」という感じなので多重人格なのか?
とまで考えてしまった。
その職に就くまでは一匹狼の技術畑でコミュニケーションが少なくてもできる仕事だったので支障が無かった。
しかし人を束ねる立場として主な必要スキルがコミュケーションに変わり問題が表面化してしまった。
彼のディベートやプレゼンだけを切り取れば誰もが認める能力の高さでリーダーの適性ありに見えてしまうのが厄介で上司もそれを理由に後継者にと引き上げたのだろう。
そういえばこの先輩とは長い付き合いで1990年代後半に応募していた小説を下読してもらったことがある。
賞金1千万円のサントリーミステリー大賞を取って作家になって楽をして生きていこうという浅はかな夢があったのでそのための努力として仕事の合間を見計らってモバイルギアでせっせと小説を書いて応募していた。
当時は「目指せ東野圭吾!」だった。
数冊書いて才能がないと自覚してさっさと諦めた。
その先輩に原稿を渡して感想をお願いしたのに校正を赤字でぎっしり書き込んでくれて戻ってきた。
今も昔も見ての通り文法がテキトーなので主に“てにをは”だ。
それはそれで助かったが感想は?と聞いたら「特に無い」と言われた…
そんなにつまらないのかとショックを受けたがその小説を読んでくれた他の知人はお世辞でも面白いとか人間関係に関する詳細な感想もくれた。
よく一緒に飲みに行き話題豊富な先輩だったが思えば彼自身の書籍や映画などの感想を聞いた記憶がない。
いつも抽象的なニュアンスや他者の批評を持ち出していた。
そういうことだったのか、と今更ながら理解した。
読むよりも何倍も大変な校正作業は彼なりの後輩への思いやりだった筈だが当時はそれすら理解できずに無理難題を頼んでしまったと後悔している。
他にも地方から優秀だと引き抜かれて新しい職場で水に馴染めず退職を余儀なくされた人もいた。
資格取得や英語の学習など常に頑張って若くしてプロジェクトマネージャーに抜擢された。
しかし彼はクライアントやメンバーが意図している事と違うことばかり繰り返してクレームの嵐でポンコツという烙印を押されてしまい数年後には会社を辞した。
メンバーを構成している後輩との飲み会はいつも彼の愚痴で「何とかしてくださいよ〜」の連呼だった。
ずっと優秀な奴だと思っていたのでそんなはずはないと1年くらい信じられず周りのやっかみなのか?と思っていたがメンバー全員口を揃えて使い物にならないと言い、上司にもクレームが入っているというのでさすがにそうなのかと受け入れた。
今では元の業種に戻りそこの下請け会社で楽しくやっていると聞いている。
後に兆候に気がついた。
ハゲとかデブとかチビとか身体的な欠点を本人を前にしてさらっと言ってしまう人物だった。
最初の職場は地方の優しい人々に囲まれていたのでキャラクターとして済ませられる懐の深さで助かっていたのかも知れない。
普通の性格だと思っていたがあれがサインだったのかも。
他にも華麗なる学歴で鳴り物入りで入社した後輩で彼も強めの兆候を持っていた。
配属から半年以上経っても指示した事を勝手に解釈を変えて会社の意に沿わない仕事をするため叱っていた。
叱っている先輩を目の前にしてベンディングマシンのカップコーヒーを飲み干して底に張り付いた氷をひっくり返して振って落とそうとしている。
誰が見ても他人の話を神妙に聞いている様子ではない。
これは無理と上司に頼んで配置換えをしてもらった。
「人が真剣に話をしているのに聞いているのか?!」
この言葉を常に周りに浴びるのも特徴のようだ。
結局他の部署でも使えなかったようで会社を転々として最後はメディアに入社したと風の便りに聴いた。
身近で気がつかなかったが父親も人の気持ちを慮れない傾向が強かったと親族が集まった時に何となくわかった。
発達障害は遺伝でも発現すると言われて自分がそうだと確信した。
まだまだ思い当たる人がいる。
彼らに共通するのは思想的に左巻きの傾向だ。
先輩は立派なきつめのリベラル思想だし親父もバリバリの左翼活動者だった。
後輩も左翼本道と言われるようなメディアへの転職だ。
遠い記憶を辿ってみれば学童保育の先生を担当してくれた左翼活動家も子供の気持ちを慮らない傾向があった。
当時はそんなやり方でも教育だと考えていたので成り立っていたのだろう。
そういえばテレビの左派系コメンテーターを観察していても、
- 早口である
- 話し方に特徴(ex表情が少ない)
- 曖昧が苦手で断言するので攻撃的
- 察せない、空気が読めない
- 自分のペースをブレずに守る
- 融通が利かない
- 突発的に思った事をそのまま口にする
- 社会性がない(上下関係が苦手)
- 約束を守ることが苦手
- 人の話を遮って喋り出す
- 想像力が乏しい
- 関心の対象が狭くこだわりが強い
- 興味がない事にはうわのそら
大凡が発達障害の特徴的な性格に当てはまってしまう。
リベラルのコメンテーターは何かに追い立てられているように早口で捲し立てる人が多い。
コメンテーターなど本来はゆっくりに視聴者にわかりやすく伝える商売なはず。
トリ何とか愛知で炎上したあの人が喋っているところを初めて動画でチェックしてみたがやはり相当な早口だ。
出身高校を芸名につけているあの芸人も機関銃のように早口だし今や左派の代表になってしまった俳優、タレント、ナレーターのマルチタレントも相当な早口だ。
一方で保守系コメンテーターは総じてゆっくり話す傾向がある。
あとリベラルコメンテーターは目上だろうが年下だろうが同じ話し方をする人が総じて多い。
芸人などは上下関係厳しいから発達障害が居ても淘汰されてしまう。
ジミーさんみたいに大物芸人に保護されている芸人以外は辞めてしまうんだろう。
同じく上下関係無視のyoutuber上がりの女性芸人も一斉を風靡したもののそのうちテレビからは消えていく。
彼女はYoutubeという戻り先があるのでいいのかもしれないが。
リベラルコメンテーターには無表情で話す、逆に身振りが大げさが多い。
だから常に怒っているように見えるか出演者の義務感から表情を作る為に薄ら笑いを浮かべていることがある気がする。
あるリベラルコメンテーターはひとつのテーマにこれでもかと話を詰め込もうとする。
あるリベラルコメンテーターはコロナで所属する新聞社が五輪をやめろと騒いていた最中に自社社員の不祥事の調査委員会を立ち上げると公表しておきながらその後忘れてしまったのかのように未だに約束を守らない。
あれだけ公言した約束が守れないなんて日本人と思えない。
(ここだけやけに具体的笑)
未だにコロナに全量PCR検査を!と言い続けているのは固執というより宗教じみている。
健康への執着が異常に強くその手のテーマに食いつく。
これは自分にも同じ傾向がある。
そして理論に一貫性がなくダブスタをモノともしない人ばかりだ。
あーこれは関係ない。
単に左巻きの特徴だった笑
あるテーマには固執していると思えば興味がない事には興味がなさそうな状態になるリベラルコメンテーターも多い。
興味の無いことでも何かコメントするのが仕事だ。
だから興味のないことは知らん顔なのでMCもそんな話題は振らない。
このあたりはリアリストなコメンテーターはなんでも一応食いついてコメントを増やそうと番組に対する貢献努力が見られる。
テレビを観るのはやめたがこの差を観察するのが面白かった。
逆に固執する話題だけには他人が話をしている最中でも割って遮る癖があり元教授であり元国会議員のフェミニズムの女性運動家もいる。
脊髄反射のように頭に浮かんだ事をそのまま口に出し一方的に話し続ける。
そして全ての話題を無理矢理に日本の女性の地位が低いのが原因だと結びつけて固執する。
思い浮かんだ左派コメンテーターはみなさん重い軽いは別にして発達障害の性格を持ち合わせているように思えてならない。
あとは選挙特番のMCとして現れる男性芸人だ。
箇条書きの特徴が全て当てはまってしまう。
彼の場合は相方のフォローが優秀なので何とか芸能界に残って居られるんだろう。
親子二代の親中のリベラル系経済評論家もかなりな部分で特徴が当てはまる。
ほぼ無表情で貼り付けたような薄ら笑いの上から目線だ。
経済評論家って表情コロコロ変わる人が多いのに珍しい。
だいたい経済評論をしていると親中には無理がある。
これらどなたにも共通する特徴が多い。
日本のテレビや新聞はリベラルなのでリベラル思想のコメンテーターを好んで使うので保守系はほとんど居ないがYoutubeの解説者を探して比較すればわかりやすい。
視聴者に分かりやすいようにゆっくり問いかけるように話すように心がけている。
保守系の評論家にこれら特徴は感じない。
テレビを未だに観ている方はこれら特徴を比較しながらチェックされるとよく見えてくる筈だ。
但しデータ化が難しくご本人がカミングアウトしたわけではなくエビデンスも統計情報もあるわけではない。
本人が気がついている可能性も低い。
そしてあくまでリベラルには発達障害が多いという仮説だ。
理論でも学力が高く発達障害を自身で認知していなければ社会から疎外を感じ左に傾くと想像しやすい。
もちろん左派は世界に一定数必要だ。
ペロシ氏を見ればわかる。
台湾の人権を守りたいと米民主党は人権左派であると誇示したいがために訪台した。
それをアメリカが利用したわけだ。
目的はどうであれ左派は世界に必要だ。
しかし日本の多くの左派は平等や人権の意識が弱く政府や保守を叩くための材料のでしかない。
「今の社会を叩きたい」「隣の芝(中国)は青い」にこじれてしまっている。
日本は保守系の方が人権を尊重しているように感じる。
日本のリベラル人口は約1割のマイノリティと言われているが対案も用意せず何もかもに反対の声ばかり大きく邪魔ばかりなのでもう少し静かになってくれた方が日本の政治や経済も回り易くなる。
元官房参与の仮説を参考に学力が高いのに社会に必要とされなかったり社会の自身に対する扱いの悪さに世の中の方がおかしいと考えて左へ旋回しマスコミ、学者、教師、公務員に集まって日本をおかしな方向に動かす力が働いていると以前に分析した。
同様に頭がいいと自負している発達障害でそれを自己分析できていない人々はその性格も相まってこの社会そのものが間違っていると考えてしまう傾向が強くなるのではないだろうか?
勘違いしないでいただきたいのはリベラルが発達障害ではなく発達障害で頭がいいと思い込んでいる人ほど日本の環境下では一見リベラルに勘違いする日本叩きに陥りやすいという仮説だ。
ASDでサラリーマンをやっていると会社の立場や上司Aさんの立場やステークホルダーBさんの立場やクライアントCさんの要求や受け入れ先Dさんの条件などとポジションを切り替えてみんながある程度納得できる落とし所を考えることが難しい。
今回は上司の顔を立てておこうとか前回はクライアントがムッとしてたから少し寄せておこうとか前回下請業者に無理強いしたので少し優遇しようとかみんなの顔色を窺いながらの調整も必要になることも多い。
リアリストというは現実社会でこんな落とし所を模索する人々を指す。
それに加えて慮るとか、推し量るとか、忖度するとか、目配せなんて空気を読む日本社会は仕事がしづらくて仕方がないだろう。
働き方改革であれ多様性の推進であれ何でもいいのでこういった人が働きやすい環境作りを行うべきだが多様性ガーと騒いでいるくせに仕事では画一性を求める人々ばかりだ。
一方で海外の企業では契約の範囲で明確な指示の下で仕事を進められるので無駄に慮る必要もなく任された範囲の仕事を一心不乱に邁進しても評価されて社会から爪弾きにされる事もまずない。
最近のコメンテーターなどはそこそこな発言をして好きな事を喚き散らせばいいので多角的ではなく視野が狭くひとつの視点しか持たずに機関銃のように喋る人の方がテレビとしても扱いやすい。
マスコミ、学者、教師、公務員も近い理由だが公務員は最近は日本特有のコミュケーション能力無いと辛くなっているかもしれない。
サラリーマンなど集団行動に重きを置く現在の日本社会では大半の発達障害の方に活躍できる場は望みにくい。
多様性だのLGBTだの騒いでいる人々はこの日本社会で辛い思いをしている大人の発達障害の方々が働きやすい環境やシステムを作るのが急務ではないか?
ざっと計算したって一千万人もいるわけなのでLGBTよりも多い。
使いようによっては化けるので社会も限りある人材資源を無駄にしてはいけない。
だから身体障害者の方を一定数会社が受け入れる社会的な取り組みと同様に発達障害の方の入社に企業が前向きになるようなインセンティブをつける施策を国や自治体が取り組むのがいい。
但し障害者手帳付与については慎重でどの程度で線引きするかは十分に検討が必要だ。
これもよく経済音痴な左派が勘違いするが国費は国債と税金であり無尽蔵に金脈が溢れてくるわけではない。
あとは社会全体で大人の発達障害の特徴をよく認知させる。
前述の通り発達障害はわかりにくいケースも多い。
気がついていないケースが多く気がついても否定したいだろうし隠そうとするだろう。
発達障害は性格でありその中には現在の世界を紡いだ偉人も数多く存在した。
ある意味レアな性格であり企業採用によって大きく化ける可能性がある。
持ち上げすぎるのも問題だが平凡な思考を持つ人より会社に利益を与える実績が現れていけばアピールする必要も無くなるのでその出だしとして国が支援すればいい。
身の回りでは上司と自分が発達障害の知識があってそれを見抜くことができていれば先輩の対応にもやりようがあった。
日本企業も柔軟な万能さよりもこだわりの強いプロフェッショナルを必要とする世の中に変わっている。
性格を理解すれば仕事に於いて同レベルの発達障害ではない人々より高いパフォーマンスを発揮する可能性を秘めている人材を見逃すのは日本社会にも損失だ。
勤めていた会社でも類まれなる個人成果を残すことにより管理職とは別の流れで取締役扱いのフェローというポジションがあった。
この中にはおそらくコミュケーション能力は乏しいものの技術者としてとんでもない成果を挙げておりその中にも発達障害を持った方がいらっしゃったのではないかと考えている。
若い頃にこのフェローになる以前の優秀な先輩に師事したことがある。
これが大変だった。
その人は自分がわかることは相手も同じように理解できるという発達障害特有の思考を持っており教えを乞うのが難儀だった。
周りも分かっていてその先輩に対する対応を教えてもらいながら師事を受けた。
尊敬に値する方も多くそんな人々が社会から爪弾きされたり左派活動しか行き場がないのは悲しい。
うまいことある程度の立場になってしまえば天才ジョブスのように周りのブレーンがコミュニケーションを何とかするだろう。
スタート時から活躍できる社会作りが必要だ。
もう社会に背を向けてしまった人々を引き戻すのは無理かもしれないが次世代の若者だけはそうならないようにすくいあげる社会作りのためみんな発達障害をよく知ろう。
マイノリティの味方であるはずの左巻きの皆さんが声を上げていただけると幸いだ。
例えば義務教育の中学3年後半の中で発達障害を学ぶのもいい。
今回挙げたような例をいくつも紹介しながら発達障害は性格であり社会としてしっかり受け入れていくことが社会のためになるという観点の学習だ。
義務教育のラストでLGBTの教育とセットにしてもいい。
但しその一方で発達障害を自身の失敗や悪評の免罪符にしようと利用する人々も現れるので難しい部分もある。
性格の問題で芸能界から干されて突然発達障害のせいにする芸能人もいる。
本当かどうか分からないが「これまでの私の変な言動は発達障害のせいだったのです!」とカミングアウトして言い訳に使われることだ。
これでは本当に発達障害で苦労されている人々が浮かばれないし悪いイメージが先行してついていくので国民が周知できるまではやめて貰いたい。
もちろんみんなが公平な認識ができるようになればこういうタイプもいると分かってもいいが今はその時ではない。
悪用されることも想定しつつ周知や防止策まで準備しないと発達障害に悪いレッテルが貼られてしまう。
周知されていくと同時に悪用する人も出てくるのでLGBT同様に塩梅が難しい。