渡邊渚さんの最近の活動が注目を集めている。
1月29日にフォトエッセイを出版したのに続き、月額1,500円のメンバーシップを発表。
この動きに対し、週刊女性をはじめとするオールドメディアが「会費が高い」と批判を始めた。
渡邊さんがかつて厳しい状況に追い込まれたことは多くの人が知るところだが、それを乗り越えて前向きに活動している姿に対して、一部のメディアがあえてネガティブな論調を展開しているのは疑問を感じざるを得ない。
特に、フジテレビの凋落が明らかになりつつある中、オールドメディア側は「共倒れ」を避けるために、渡邊さんを批判し、世論をフジ寄りに戻そうとしているようにも見える。
もし彼女が静かに「元気になりました」とだけ発信していれば、ここまでの攻撃はなかっただろう。
しかし、堂々と活躍していることで「もしかしてこの状況を利用しているのでは?」といった疑念を抱かせ、結果的に「フジテレビをそこまで責める必要はないのでは?」という世論形成を狙っているのではないか。
もちろん、彼女が現在精力的に活動している背景については外部から正確に窺い知ることはできない。
しかし、彼女の無双感のある行動に対して既視感がある。
彼女の現在の活躍を見てある人物を思い出した。
それはN国党の立花孝志氏だ。
彼は双極性障害を公表し、治療を受けながら活動していることが知られている。
Wikiにも明記されている 双極性障害を患った有名人
兵庫県都知事戦でなぜそこまで彼はやる?
私財を投げ打ち借金までして何でそこまでやっている?
何が彼を突き動かしているかといえばこの持病の影響が大きいだろう。
この病気の症状は躁(そう)ゾーンに入ると無双状態だ。
自分自身も若い頃、双極性障害だった可能性があった。
ただ当時は病名もあまり知られていなかったので心療内科に通うまでには至らずに少しずつ症状が消えていった。
(むかしは躁うつ症と呼ばれてこれも性格だからしょうがないというような見立てだった)
その経験から立花さんの動向も注視していた。
もちろん、渡邊さんが同じ状況にあると決めつけることはできない。
ただ、あの事件でPTSDになっており、それをきっかけに双極性障害を発症するケースがあることは事実であり、実例もあるようで、
研究によれば両者が併存する可能性も指摘されている。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)と双極性障害は、併存することがあります。
PTSDは、心的外傷的な出来事によって引き起こされる精神疾患です。一方、双極性障害は精神疾患の1つです。
PTSDと双極性障害の併存症について、詳しく見てみましょう。
• PTSDと双極性障害などの精神疾患が併存している人は、80%以上いるといわれています。
• PTSDと併存する精神疾患には、抑うつ障害、パニック障害、不安障害、物質使用障害、摂食障害、人格障害、素行症などがあります。PTSDの症状には、次のようなものがあります。
• 侵入的思考
• 悪夢
• フラッシュバック
• 心的外傷を思い出させるものの回避
• 否定的な認知および気分
• 過覚醒
• 睡眠障害
PTSDの症状が悪化すると、日常生活や仕事、人間関係に深刻な影響を及ぼす可能性があります。早期発見・早期治療が重要です
これはあくまで一般論だが、周囲の人々がこうした可能性に気を配ることは決して悪いことではない。
一方で、彼女を批判する側の意図を冷静に見極めることも重要だ。
これまでの経緯を考えれば、彼女は純粋に被害者であり、フジテレビを守るために彼女がスケープゴートにされるような状況が生まれているのではないか?
我々もまた、オールドメディアの煽動に踊らされず、彼女の行動を「被害者の新たな挑戦」として温かく見守る姿勢が必要なのではないだろうか。
左翼的な思想が「加害者の人権を守り、被害者を責める」と見える背景には、いくつかの歴史的・思想的な要因が関係しています。この記事では、その理由を探りつつ、具体的な事例や日本社会への影響を考察します。
左翼はなぜ加害者の人権を守り、被害者を責めるのか?
1. 左翼思想の根底にある「弱者擁護」の原則
左翼的な思想の基本には、「社会的弱者の擁護」があります。歴史的に、左翼は資本主義社会の中で抑圧された労働者や少数派の権利を守る立場をとってきました。
しかし、この「弱者擁護」の原則が極端になると、「犯罪者=社会の被害者」という考え方に発展します。例えば、貧困や差別が犯罪の原因であると考え、「犯罪者もまた社会による被害者だから更生の機会を与えるべき」と主張するのです。その結果、被害者の苦しみよりも加害者の更生を重視する立場が生まれます。
2. 「加害者=社会の被害者」理論
日本の左派系論者の中には、「犯罪者は個人の責任ではなく、社会の構造的問題によって生まれる」と考える人が少なくありません。この考え方では、犯罪を個人の問題としてではなく、社会全体の責任として捉えます。
例えば、少年犯罪の議論では、「家庭環境が悪かった」「経済的に困窮していた」「教育の機会がなかった」といった理由で、加害者に同情が集まるケースが多いです。一方で、「犯罪を防げなかった社会が悪い」という論調になり、被害者側の行動を責めることさえあります。
実例:酒鬼薔薇事件(1997年)
神戸連続児童殺傷事件(通称:酒鬼薔薇事件)では、犯人が14歳だったことから、「少年を厳しく罰するのは酷だ」とする左派的な主張が目立ちました。加害者の心理分析や育った環境に関する議論が先行し、被害者や遺族の感情よりも「少年法の保護」の観点が重視されました。
3. 左翼系メディアの影響
日本の大手メディア(特に朝日新聞やNHKなど)は、基本的に左派的な視点を持っています。そのため、加害者を「社会の被害者」として描き、被害者や遺族の厳罰要求を「感情的」と批判する傾向があります。
例:女子高生コンクリート詰め殺人事件(1989年)
この凄惨な事件でも、加害者の少年たちは少年法によって保護され、刑期を終えて社会復帰しました。一部のメディアは、彼らの「更生」について報じる一方で、遺族の怒りや苦しみを「復讐心」として否定的に描きました。
こうした報道姿勢が、左翼系が「加害者の人権ばかり守る」と批判される原因となっています。
4. 「被害者の落ち度を探す」傾向
左翼的な視点では、社会構造や権力の非対称性を問題視するため、被害者の行動にも「落ち度」を求める傾向があります。例えば、女性が性犯罪の被害に遭った場合、「露出の多い服装をしていた」「夜遅くに出歩いていた」といった点が指摘されることがあります。
これは「自己責任論」とは異なり、「社会全体が性犯罪を助長している」という論点に結び付けられがちです。結果として、加害者の行為そのものよりも、「被害者が犯罪を防げなかったか」という議論が強調されることになります。
5. 国際的な左翼思想との関係
この傾向は日本だけでなく、欧米の左翼思想とも共通しています。アメリカでは「Defund the Police(警察予算を削減せよ)」という運動が左派の間で盛り上がり、犯罪者に対する寛容な姿勢が強まっています。
フランスでも移民による暴動が発生した際、「移民たちは貧困の犠牲者だから、犯罪を責めるべきではない」とする左翼系の主張が目立ちました。
日本の左派もこうした国際的な左翼思想の影響を受けており、犯罪者を「社会の被害者」として擁護しがちなのです。
6. 右派の視点との対比
一方、右派的な視点では「犯罪は個人の責任であり、厳罰化が必要」という考え方が主流です。加害者の人権よりも、被害者や遺族の感情を重視し、厳罰化や死刑存続を支持する傾向があります。
例えば、自民党の中でも右派寄りの政治家は「少年法の改正」や「厳罰化」を主張することが多いですが、左派系メディアはこれを「人権侵害」として批判することが一般的です。
結論:左翼の理想主義が現実を歪めている
左翼的な思想が「加害者の人権を守り、被害者を責める」と見えるのは、
1. 犯罪者を「社会の被害者」として捉える傾向
2. 社会構造の問題として犯罪を説明しようとする姿勢
3. 左派系メディアによる報道の偏向
4. 国際的な左翼思想の影響
といった要因が重なっているためです。
しかし、こうした理想主義的な考え方が行き過ぎると、犯罪被害者や遺族の声が無視され、犯罪抑止の視点が失われる危険性があります。本来、法制度や社会の在り方は、加害者の更生と被害者の救済のバランスを取るべきものです。
しかし、現在の日本ではそのバランスが崩れ、「加害者の人権ばかりが守られている」と多くの国民が感じる状況になっています。この問題を是正するためには、メディアの報道姿勢を見直し、被害者の権利をより重視する法改正が必要ではないでしょうか。