最近では、学術の世界では「人間には本能がない」とする立場が広まりつつあります。といっても、それは「人間に本能的な行動が一切ない」という意味ではなく、「本能」という言葉自体が、科学的な説明にあまり役立たないとされて使われなくなっているという状況です。
たとえば、脳科学や心理学では、行動の原因を神経やホルモン、環境刺激などの「細かい因果関係」で説明しようとする流れがあります。そうした中で、「これは本能です」と言ってしまうと、それ以上の分析が止まってしまう、という懸念があるわけです。
また、アメリカの科学史家カール・デグラーが指摘するように、20世紀前半には「本能」という言葉が急速に社会科学の中から消えていった背景に、人種差別や優生学といった過去の問題への反省がありました。それと同時に、「人間の行動はすべて後天的に変えられる」とする文化決定論(cultural determinism)が勢いを持ち始めたという流れもあります。
一見すると科学の進歩による用語整理のように見えるこの変化ですが、よく見るとそこには思想的な意図や社会的な空気感が強く影響していることも否定できません。
例えば、「本能という語は説明力が乏しく、神経科学的・生理学的プロセスを説明しないため無意味である」といった論点は、科学の進歩による用語の整理として妥当にも思えます。
しかし、その背後には、純粋に科学的とは言い切れない思想的な力学が見え隠れします。
前述のカール・デグラーが指摘するように、特定の言葉が「過去に悪用された」という理由で、学問用語としての有効性までも否定されたのです。
これはまさに、現代の左派的価値観による「ポリティカル・コレクトネス(PC)」の先駆的な動きであり、事実や実証よりも「倫理的な印象」や「社会的正しさ」が優先される価値判断です。
たとえば、「本能」という語を用いることで、性差や家庭制度の自然性、能力の先天的傾向といった“平等ではない現実”を認めざるを得なくなります。これは、「すべては教育と環境で変えられる」と信じる左派思想にとっては不都合であり、本能という概念を抹消した方が都合が良いとも言えます。
このような背景を踏まえると、現在「人間には本能がない」とする主張の一部には、学術を装った思想の刷り込みが含まれている可能性を否定できません。学術とは本来、どのような政治的・思想的前提からも自由であるべきです。
にもかかわらず、本能という語を使うこと自体が「時代錯誤」や「差別的」とレッテル貼りされる現状があるとすれば、それはもはや科学の名を借りた言論統制に等しいのではないでしょうか。

■ 参考文献・引用資料
本稿で論じた「本能」概念の変遷、およびその背景にある思想的影響について、以下の文献や論点を参考にしています。
1. Carl N. Degler『In Search of Human Nature: The Decline and Revival of Darwinism in American Social Thought』(1991)
- アメリカの科学史家カール・デグラーは、本能や生得的性質を重視するダーウィニズムが、20世紀前半のアメリカ社会科学から一時的に排除された経緯を詳細に論じている。
- 特に1920〜30年代以降、優生学と人種主義の反動として、「人間の行動はすべて環境・文化によって決定される」という文化決定論(cultural determinism)が学問界を席巻し、「空白の石版(tabula rasa)」的な人間観が広まったことを指摘。
“The shift away from biological explanations and toward cultural ones in the social sciences was not only scientific, but moral and political.”
― Degler, 1991, p. 63
2. スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える』(原題: The Blank Slate,2002)
- 認知科学者スティーブン・ピンカーは、本能否定や「空白の石版」論に対して批判的立場を取り、「人間には生得的傾向がある」という認知科学・進化心理学の立場から反論を展開。
- 「本能」という語が曖昧だという批判は理解しつつも、それを理由に人間の先天的性質そのものを否定するのは科学的誤りであると主張。
「“空白の石版”という神話は、社会政策に都合がいいから残ってきた。しかしそれは真実ではない。」
― ピンカー『人間の本性を考える』下巻, 2004年, NHK出版
3. E. O. Wilson『人間の本性について』(On Human Nature, 1978)
- 社会生物学の父と呼ばれるE.O.ウィルソンは、生物学的・進化的な視点から、人間にも本能的行動があるとする立場を明確にしている。
- 彼の主張は当時、左派的な学者(特にマルクス主義者)から激しい批判を受けたが、現在では多くの研究がウィルソンの見解を支持している。
“The genes hold culture on a leash. The leash is very long, but inevitably culture conforms to the principles laid down by heredity.”
― Wilson, 1978
4. 政治的・思想的な「用語排除」の問題点
- 学術用語の使用が「社会的に不適切」とされて排除される現象については、下記の議論も参考になる。
・Jonathan Haidt(ジョナサン・ハイト):『The Coddling of the American Mind』(2018)
- 米国の学問的自由の衰退と、思想的多様性の欠如について警鐘を鳴らしており、「危険な思想や言葉を排除する動きが学術を蝕む」と主張。
・Heather Heying & Bret Weinstein:『A Hunter-Gatherer’s Guide to the 21st Century』(2021)
- 生物学的現実を無視した社会理論が拡張されることで、政策や教育が非現実的になる危険性を指摘。