2025年現在、現実の政治を見ていると、フィクションの中に登場する政治家の方がよほど「まとも」なのではないか、という思いに駆られる瞬間がある
たとえば、『沈黙の艦隊』に登場する竹上登総理と、2025年の現実の総理である石破茂氏を比較してみると、その違いは顕著だ。
竹上登総理――フィクションにして理想的なリアリスト
竹上総理は、海江田率いる原子力潜水艦「やまと」の独立宣言に対して、日本の主権と平和を守るという極めて難しい立場に置かれる。
彼は米国からの強圧的な要求に対しても、一国の主権国家として毅然と立ち向かい、過度な対米追従を避けつつ、戦争回避の道を探る。
特筆すべきは、外交・安全保障の局面で国益を最優先にし、感情論に流されず戦略的判断ができる政治家像として描かれている点だ。日本の立場を世界に対して明確に示すその姿勢は、多くの現実の政治家には見られない「リーダーの気概」とも言える。
石破茂総理――誠実な政策通、だが内外経済に逆風を呼ぶか
一方、石破茂氏は防衛・農政・地方行政など多岐に渡る政策分野に精通した「政策通」として知られる。
しかし、彼が総理の座に就いた後の政権運営には以下のような懸念が付きまとう。
1. 経済政策の弱さと財務省依存
石破政権は財政健全化を重視するあまり、増税志向が強く、インフレ脱却途上の日本経済には逆効果となる可能性が高い。消費税引き上げや歳出抑制によって、家計や企業にブレーキをかけてしまいかねない。
2. 中国に対する弱腰姿勢
石破氏は中国との対話や関係安定を重視する姿勢を取っているが、それが過剰な「配慮」となり、日本の主権や安全保障に不安をもたらしているとの批判もある。
2025年内閣には「媚中」と揶揄されるような閣僚も複数名起用されており、経済・人的交流を名目に中国との一体化を進める動きが強まっている。
尖閣諸島や台湾海峡を巡る情勢が緊張する中で、こうした姿勢は対米同盟との整合性を欠き、アジアの安全保障秩序に悪影響を及ぼすリスクすらある。
竹上 vs 石破:比較表
観点 | 竹上総理(フィクション) | 石破総理(2025年) |
危機対応能力 | 高い(冷静・戦略的) | 理詰めだが柔軟性に欠ける可能性 |
対米姿勢 | 対等な外交を模索 | 伝統的な追従姿勢に戻る懸念 |
対中姿勢 | 明確な独立志向(※) | 弱腰、媚中閣僚の起用多数 |
経済政策 | 作中描写なし(中立) | 増税・緊縮志向が強い |
国家主権意識 | 高い | 相対的に低い傾向 |
竹上総理は「独立国家やまと」の存在に対して一貫して国家主権の立場から対応し、米国・中国いずれにも過度に寄らない姿勢を見せている。
結論:竹上登の方が“まとも”な政治家である
現実の石破政権は、知性と誠実さを持ち合わせている点では評価できるものの、経済運営における増税志向、そして対中外交における曖昧さや弱腰姿勢が大きな弱点である。
一方、竹上総理はフィクションではあるが、国家の主権・安全保障・国益を真摯に見据えた意思決定を行っており、むしろ現実の日本政治が失った「国家リーダーとしての芯」を感じさせる存在だ。
皮肉なことに、フィクションの中にしか“まとも”な政治家が存在しない――そんな嘆きが現実味を帯びてくるのが、今の日本政治の病理なのかもしれない。
