最近2つの殺人事件が起きた。
ひとつはあまりにも痛ましい事件で亡くなられたふたりの方のご冥福をお祈りしたい。
この2つの事件の余波で8050や引きこもりをニュースやワイドショーでひっきりなしに取り上げていた。
その引きこもりの実態調査において、
- 「自室からほとんど出ない」
- 「自室からは出るが、家からは出ない」
- 「近所のコンビニなどには出かける」
- 「趣味の用事のときだけ外出する」
これらが6カ月以上続く状態をひきこもりと定義している。
今まで退職後の自分自身をヒッキーとか引きこもりと冗談半分で言っていた。
退職して1年目はあちこち出かけていたが2年目、特に癌の手術をしてから普段はあまり出かけることがなくなった。
旅行とジムを趣味とすれば普段スーパーにしか足を運んでいないので全て当てはまってしまう。
まさにホンモノの引きこもりらしい。
自分が冗談で云うだけならいいが社会から「そうだ」と突きつけられるのは少し悲しい。
他人のブログを読んでいないので他人のことはわからないが自己資金、企業年金、厚生年金、不労所得でセミリタイア生活している人の大半がこれに当てはまってしまうのではないだろうか?
セミリタイア ≒ 引きこもり
いや数式だとこちらがより正しいか。
引きこもり ⊃ セミリタイア
家族と普通に暮らす、カルチャースクールに通っている、ボランティアをやっている、自治体の活動をしている、など何らかのコミュニティに属していなければセミリタイア生活は引きこもりの一種となる。
そして癌の手術を境にテレビ番組をよく観るようになった。
それまでテレビはアベマの将棋チャンネルを映すかNETFLIXやアマゾンプライムビデオで映画、ドラマなどを観る程度だった。
しかし外出が減り動画も観尽くしたのか観たいものがなくなってジム以外の日はワイドショーをずっと観ている。
モーニングショー、ひるおび、ゴゴスマとつなげて観て気がつくとコメンテーターの発言に文句を言ってる自分がいた。
これは、あれだ。
そう老害への第一歩だ。
テレビに向かって文句を言っているうちはまだいい。
そのうち意味不明な怒りが外部に向けられ、最近のワイドショーで取り挙げていた三重県松阪市の商店街の歩道にのぼりがあるので邪魔だと退けて、植木鉢は置くなと退かしたり、自転車が邪魔だと勝手に店内に運び入れ、看板を固定してあるロープを切ったり、片っ端から他人の物を移動させたり破壊したり、文句を言えば道交法を持ち出してもっと勉強しろと正論を掲げ商店街の人達を困らせている通称「正論おじさん」(89歳)のように誰かに迷惑をかけてしまいそうだ。。。
(賛否あるが他人の物を勝手に移動させたり破壊している時点で犯罪だ。)
他人にあまり興味がないので自分は絶対そんなことはしないだろうと高を括っていたがひとりでワイドショーばかり観ていると危うく感じる。
あれは老害製造番組だ。
引きこもりは他人に迷惑をかけないが老害はまずい。
そこで手術前の生活に戻すことにした。
平日は出来るだけ出かけるようにしてワイドショーは観ない。
テレビをつけても将棋チャンネルくらい。
それにヤフーニュースは偏向ばかりなのでグーグルニュースに戻す。
動画なら事実だけを伝えるANNニュースチャンネルや産経ニュースチャンネルあたりを観ていれば偏向コメントや印象操作に感情が左右されることもない。
しばらく行ってなかった図書館で本を読もう。
定期的に飲み会にも参加する。
毎月旅行もそろそろ復活させるか。
退職後の初心を思い出して生活をリセットした。
きっかけになった正論おじさんには反面教師として感謝している。
ワイドショーや偏向報道を観ないことが引きこもりから外れるわけではないが少なくともおかしな怒りは湧いてこないので老害になる確率は低くなる。
老害の行動原理は大半が怒りだ。
怒りをコントロールすることが大切であり怒りを生む要因を排除するのが大切だろう。
例えば先の正論おじさんの場合は本人への取材にて「年寄りをもっと大切にしろ!」という怒りでやっているらしい。
商店街にとってみればなんら関係ないのでいい迷惑だ。
頭が固くなってしまうとわからないでもないが年功序列が破綻して、いまを代表するマツコあたりが尊敬できなければ年長者だろうがバカにしてしまう風潮の時代に「ただただ長く生きたから尊敬してくれ」と周囲に望むことが時代錯誤なのだ。
歳を取っても時の流れに置いていかれないようにし、園児の頃保育士より「他人に迷惑をかけるのはやめましょう」という教えを守っていきたい。
という自戒の話題だった。