退職活動に終わりを迎える。
「とうとう」が本来の表現としては正しいのだろうがここまでこぎつけるのに一時はどうなるかと思ったので「ようやく」で正しい。
退職するまでの根回しに疲れたが、退職することに特に感慨もなくせいせいしたとも思わない。
最終日も普段通りに出社した。
これまで退職者が挨拶に来てくれた時を思い出すとリストラであればテンション低め、満足できる辞めかたをしていれば高めかもしくは緊張した感じだった印象がある。
病気を理由に退職するのに普段通りではバツが悪いのでテンション低めの演技をしながら挨拶回りをした。
過去を振り返る訳でもなく普段の雑談のような挨拶にしておいた。
自身でも気がつかない内心を見透かされるのを避けたかったのかもしれない。
退職の整理をして最後の挨拶をメールしているところで訃報を聞いた。
ブログでも何度か話題に出た元社員で退職後に派遣で70歳まで仕事を続けていた大先輩が亡くなった。
まだ元気に頑張っていると思っていたが6月に亡くなっていた事を知った。
20年前にお世話になったことがあるので出来ればお線香でもあげにいきたかった。
詳細は伝わってこなかったが親父と同じ末期癌だったようだ。
去年後半に飲み会でお会いしているので推測するにもうその頃には手の施しようがない状態だったのだろう。
皆から親しまれた人でシニアから若手まで誰一人悪口をいう人はいなかった。
ただ仕事が趣味で普段も仕事以外の話を聞いたこともない。
48年間働いて仕事が趣味だったと思うので本人にとっては何も問題なかったのかもしれない。
ご家族が幸せだったのかは知るすべがないが経済的には不自由ない生活はできたはず。
自分に置き換えてみると50歳でまだ20年間働くわけになる。
……ありえない。
彼は彼の生き方なので否定はしない。
なくなる70歳まで200万円の再雇用制度ではなく年収1000万以上で活躍したのだから国の推し進めようとしている准高齢者の最高のリファレンスモデルとなる存在だ。
年金も払いっぱなしになるのでダラダラ90過ぎまで年金もらい続けている老人に比べたら国にとっては表彰してあげたいほどだろう。
自分の場合仕事は生活するための必要悪だと考えている。
「人生の中に仕事がある」のか「仕事の中に人生がある」のかどちらかの価値観によって生きかたが変わってくる。
前者はマクドナルド元社長の原田さん、後者は株式会社武蔵野社長の小山さんのことばだ。
自分の価値観で後者はありえない。
前者でもなく人生の中に仕事なんてない方が幸せだ。
人は元来狩って食べる以上に働くことはしなかった。
それが時代と共に複雑な仕事やコミュニティが形成されてみんなストレスの中で足掻き生活している。
人本来の生きかたではない。
どこかで話したが目標達成型ではなく天命追求型なので成果を設定しそれを期待通りの日程で乗り越えていくのが苦手だ。
期限なんて小学生の夏休みの宿題の頃から全て嫌い。
自由にやっていいよといわれれば自分でも思わぬ成果があげられるタイプなのだ。
でも仕事ではそんな計算できないポンコツはいらない。
だから納期に追われる前に全ての仕事を片付け優秀な人の模倣や様々な効率化をしてパフォーマンスを上げてしまった。
立場も年収もポジティブな行動原理ではなく期限という呪縛から逃れる様々な手段を使った結果として手に入れただけ。
一方で子供の頃の経験から貧乏な生活はしたくないという恐怖があり稼ぐため仕事中心で生きてきた。
しかし本意ではない。
時間に拘束されることが嫌なのだ。
早期退職でスローライフを目指している人の幾許かは賛同してくれるのではないだろうか。
そして節約生活もそれほど悪くはないと気がついた。
貯蓄も充分ではないもののある程度できた。
会社をやめてスローライフを送ろうと一念発起して去年の9月にスタバで決めて10ヶ月経ち、
それがようやく実現した。
年次有給休暇をずっと取っているうちに休み慣れした感はあるが少しテンションを上げて残りの人生を楽しんでいこうと自分に言い聞かせてみた退職日だった。
なお、退職編は終了して無職編〜半移住編になります。