上岡龍太郎先生が逝く(早期リタイアの先駆者)

上岡龍太郎さんをテレビで観たのは案外遅い。

漫画トリオは世代が違うので記憶はない。

その後漫画トリオで人気を博していた横山ノックさんが何を勘違いしたか国会議員になり上岡さんはピンでラジオを中心に下積みのような仕事をしてしていた。

ここで生まれたキャッチフレーズが「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才」だ。

その後しばらく全国放送ではなく関西ローカルに出演されていたので初めて彼を観たのはルックルックこんにちはあたりだろうか?

当時は下世話な番組好きだったから沢田亜矢子さんや岸部シローさんがMCをしていたワイドショーでレポーターみたいなことをやっていた記憶が薄ら残っている。

その後はメジャーに返り咲いて全国的にお馴染みのナイトスクープやパペポやEXテレビで観ていた。

屁理屈なオッサンの印象があるがとにかく面白い。

観ていて飽きない。

ドリフや欽ちゃんやダウンタウンとはまた一味違った種類の笑いだ。

左寄りなのに面白い人は後にも先にも上岡龍太郎さんくらいしか知らない。

思想は親父さんが有名な左翼弁護士なので少なからず影響を受けて育ったのだろう。

しかし探偵ナイトスクープの放送作家で永遠のゼロの作者であり保守の代名詞の百田さんと仲が良かったのは懐の深さだ。

上岡さんの弟子の一部も彼の影響を受けてか左に傾いた発言を繰り返しているが頭が悪く面白くない奴は喋れば喋るほど理論破綻を起こすので静かに保守でもやっていた方がいい。

左派理想主義というのは選ばれた天才詐欺師あたりが騙らないとリーマンなど現実的で合理的な世の中で必死に生き抜いている人々にとっては戯言にしか聞こえない。

その点上岡さんは体制批判もしていたが屁理屈を並べてあまりに面白いので納得してしまう。

上岡龍太郎クラスの論者や政治家が10人もいればもう少し日本の左派界隈が明るくまともだったはず。

その上岡龍太郎さんが亡くなった。

齢81才とのこと。

実はおそらく芸能人で一番というか唯一といってもいい人生の影響を受けているが上岡龍太郎さんだ。

別に屁理屈をまねたいとか彼に流れるリベラルな思想とか彼のアイディアを参考にしたとか笑いを学んだとかそういう類いの話ではない。

彼の仕事のやめ方、その一点だ。

パペポで21世紀には芸能界を辞めてシニアのプロゴルファーになって生計を立てるといつも言っていたがどうせ冗談だろうと本気にしていなかった。

衰えを知らず何時間喋っていても面白かったので出演依頼や冠番組の依頼なども引く手あまただったはず。

しかし2000年の58才で有言実行であっさりと芸能界を引退してしまった。

視聴者にはあっさりに見えたが実際には番組の切れ目でひとつずつ辞めて義理のある人からも何とかこの番組だけは出てくれとか新番組を全て固辞したはずなので準備は大変だったろう。

今となっては綺麗に引き継ぎが出来ないと辞められなかった退職前を思い出してそう感じる。

それでもあんな出たがり喋りたがりが隠居生活なんて耐えられるわけがないからどうせすぐ復帰するだろうと様子を見ていたが3年経っても5年経っても10年経っても芸能界復帰の気配すらなかった。

そしてとうとう亡くなるまで芸能界に戻ることはなかった。

引退後も猛烈な出演オファーがあったが全て断っているようだ。

もしかすると彼の人気のピークは漫画トリオ時代かもしれないが自分の中では辞めたタイミングがキレに円熟が加味されて芸人としてのピークだった。

芸能界でピークで辞めた歌手はたしかに幾ばくか存在するが引退しても結局一段、二段落ちたところに舞い戻ってくる人ばかりでマイクを置いて綺麗に辞めたのは山口百恵さんしか知らない。

格が違うもののブルゾンちえみさんもピークで潔くやめたと思ったがググったら本人名義で活動再開していた。

そういえば上岡さんを師と仰いでいた紳助さんも同じような年齢で引退している。

ただ紳助さんの場合は黒い交際とかキッカケがあり当時芸能界に絶大な権力を持っていたのでテレビが今話題になっている故ジャニー喜多川氏のように情報を封殺して芸能界に居座る事もできただろうが心の師に見習って身を引いたのかもしれない。

それでも自らの意思で身を引くのと普通の芸能人なら引退を迫られる報道が出てから辞めるのとは中身が違う。

上岡さんの早期引退と2度と後戻りしない人生を見てこういう生き方もあるんだというのが自分の奥深くに染み込んで50才前にリタイアを決意した。

それまでサラリーマンは定年までせっせと働くのが当たり前だしテレビに出演している芸能人たちは人気がなくなってお呼びがかからなくなるまでいつまでも身体が動くまで働くのが当たり前だった。

リストラのリーディングカンパニーのような会社に勤めておりリストラなんてされまいと業績を上げ続けていたので早期リタイアの概念が自分の中になかった。

その日本人かくあるべしという常識を上岡龍太郎先生が打ち破ってくれたわけだ。

もちろん彼ひとりの存在だけで早期退職生活を始めたわけではないがおそらく彼が存在しなければいまだに会社でせっせと働いていた。

そして退職する頃には大腸癌が10年以上経過して悪化するか転移して病院のベッドの上で短い寿命を数えていただろう。

一度もお会いしたことはないが芸能人で唯一ご恩がある方だ。

どうか安らかにお眠りください。

PS.お別れの会は本人の意志で開催しないことになったらしいがもし元所属事務所の吉本あたりが大阪でファンのために何かやってくれるなら是非に駆けつけたい。


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