かつて「意識高い系」という言葉が流行し、SNSやブログ、YouTubeなどで多くの人が自己啓発やグローバル志向を語る姿が目立った。
しかし、最近ではその存在感が薄れ、かつてのような熱気は失われつつある。
なぜ意識高い系は廃れてしまったのか?
その背景を考察しながら、現在の価値観の変化について探ってみたい。
意識高い系の全盛期とその特徴
「意識高い系」は、2010年代を中心に日本で広まった言葉だ。彼らの特徴は、自己啓発やキャリアアップを強調し、自分を「成功しそうな人間」として演出することにあった。具体的には以下のような傾向が見られた。
• グローバル志向:「英語ができれば年収が上がる」「海外留学・移住が成功の鍵」といった主張
• スタートアップ推奨:「大企業より起業が正解」「会社員は搾取される」といった言説
• 自己啓発重視:「朝4時に起きて成功者のルーティンを実践」「読書100冊で人生が変わる」などのライフスタイルのアピール
もちろん、中には本当に努力を重ね、実績を残した人もいた。
しかし、多くの意識高い系は、実績よりも「意識の高さ」を演出することに重点を置いていた。
そのため、SNSやセミナーでは華々しく見えても、実際のビジネスやキャリアで成果を出せないケースが目立った。
意識高い系が廃れた理由
① エリート主義・左派的価値観への反発
近年、日本では左派的な価値観やエリート主義に対する反発が強まっている。意識高い系は「グローバル志向」「SDGs推奨」など、しばしば左派的な価値観と親和性が高かった。その結果、彼らの発信が「口だけの理想論」や「公金チューチュー(補助金ビジネス)」と結びつき、冷ややかな目で見られるようになった。
また、社会全体が「実力重視」「競争の激化」にシフトする中で、意識高い系の「自己演出」だけでは評価されにくくなったことも大きい。
② 現実との乖離による失望
意識高い系のメッセージには、「努力すれば誰でも成功できる」「海外に出れば簡単に稼げる」といった楽観的な要素が多かった。
しかし、現実には、どれだけ努力しても成功できるとは限らず、海外でも厳しい競争が待っている。
例えば、「英語を学べば年収が上がる」といった主張も、英語ができるだけでは不十分であり、専門スキルや市場価値がなければ収入は伸びない。
こうした現実に直面した人々の間で、「意識高い系の言葉は机上の空論だった」という認識が広まり、彼らの影響力が低下していった。
③ 実力主義の台頭
近年の社会では、ますます「結果を出す人」が評価される時代になっている。
これは、IT・AIの発展により、仕事の成果が数値化されやすくなったことも影響している。
• ビジネスでは、実際に収益を生み出せる人が評価される
• SNSでも、単なる自己啓発よりも役立つ情報を提供する人が支持される
• キャリア面でも、「肩書き」より「何ができるか」が問われる
こうした変化の中で、「演出だけで中身のない意識高い系」は淘汰され、実力のある人だけが生き残るようになってきた。
意識高い系は「演出力の一環」だった
意識高い系の本質は、「セルフブランディングの一環」とも言える。
彼らは、自分を「成功する人物」として見せることで、ビジネスチャンスを掴もうとしていた。
しかし、演出だけでは通用しない社会になりつつあり、単なる自己アピールでは評価されなくなった。
もちろん、「演出力」そのものが悪いわけではない。
むしろ、ブランディングやマーケティングの観点から見れば、演出力は重要なスキルだ。
ただし、それが実力に裏打ちされていなければ意味がない。
実力第一の時代へ
意識高い系の凋落は、社会が「実力第一」の方向に進んでいることを示している。
かつては、「それっぽいことを言えば評価される時代」だった。しかし、今は「本当にできる人しか評価されない時代」になりつつある。
これは、単なる意識の高さではなく、確かなスキルや実績を持つことが重要になってきたということだ。
意識高い系が絶滅するわけではないだろう。
しかし、これからの時代に生き残るのは、単なる「意識の高さ」ではなく、実力を持ち、それを証明できる人間である。
今後は、演出よりも本質が問われる社会になっていくだろう。
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※成果がないなんてどこに証拠が?と言われるかもしれんが、大量解雇した後に2024年は92%の増益だったらしい。左翼系メディアは「マスクの暴挙」だとか騒ぎながらその後の成果を一切報じないから困ったものだ。USAID閉鎖でも同じことを繰り返すわけだ。